なぜ人は道端で小石を見つけると無意識に蹴ってしまうのか想像だけで語ってみた
こんにちは、"やーびー" です。
皆さんは歩いているときに小石を見つけると、無意識に蹴ってしまったことはありませんか?
僕は何度もあります。
今回はこの無意識に蹴ってしまうということについて100%想像で話していきたいと思います。
では早速行ってみましょう。
小石の発見
ある日AさんとBさんの二人で普通に道を歩いていたとします。
目の前に人が立っていたとします。
これはAさんもBさんも気づいて避けますよね。
では人ではなくバッタや猫などの人以外の動く生き物だとしましょう。
これもAさんBさん共に気付いて避けますよね。
つまり、AさんとBさんが何かしらのアクションを起こすためには、この認識というものが必要なわけです。
何もないのに避ける人がいたら怖いですよね?(笑)
では次に小石に置き換えてみましょう。
小石は気付く人もいれば気付かない人もいますよね。
Aさんは気付き、Bさんは気付かなかったとしましょう。
Bさんは確実に何もしませんよね。
しかし、Aさんは何もしないかもしれませんし、何かするかもしれませんよね。
ただ、ここで何もしないという選択肢は、目の前に人やほかの生き物がいたときにはありませんでした。
つまり、石ころだけが何か違うわけです。
何が違うのか?
これには2つの違いがあると考えました。
- 動作の有無と次が予測できるかできないか
- 自分にとってどういう存在か
一つ目の動作の有無は言葉のままで、石ころには動作がなく人や他の生き物には動作がありますよね。
そして次の動きが予測できないと、どういう動きをするかわかないため人は無意識に避けようとしますよね。
それが人同士だと、都会ではよくあることですが
向かい合った人と避ける方向が被って謎の譲り合いが生じます。
人以外の生き物だと、こっちに向かってくるかもしれないし離れていくかもしれない、そもそも動かないかもしれないですよね。
そうなると人は避けるという選択肢を無意識に選択してしまいます。
では逆に動きが予想できるとどうなるのか?
次の動きがわかっていたとしましょう。
絶対に避けると思いますか?
避けるとは限りませんよね。
つまり動作の有無と次の動きが予測できるかできないかでアクションの選択肢が変わってくるのです。
石ころは動かない⇒だから次の動きもない⇒アクションの幅が増える
といった感じです。
次に、その選択肢の中から何故蹴るという選択になるのかということです。
これが二つ目の自分にとってどういう存在かということが関係します。
人は自分が起こしたアクションによって何か自分に不利益をもたらすことを無意識に避けます。
目の前にいるのが人かその他の生き物だった場合
「ぶつかってしまうとやばい」と本能的に避けるわけです。
しかし、自分にとって何ら不利益を被ることのない石ころならどうでしょう。
無意識に逆に何かしてみたくなるわけです。
いわゆる好奇心ってやつですね。
「蹴っても痛くない」、「避ける必要すらない」
と無意識に考えるわけです。
そして石ころに一番近い部位である足で蹴ってしまうというわけです。
ここで、もっと大きい石だとどうでしょうか?
蹴ると痛いですよね。つまり蹴るという動作に対して不利益を被るわけです。
これが自分にとってどういう存在かということです。
まとめ
以上のことをまとめると
- 動作の有無と予測可能かどうか
- 自分の中での存在とアクションを起こした際の不利益のなさ
というのが石ころを人が無意識に蹴ってしまう理由なのかなあと想像してみました。
信憑性は皆無なので真に受けちゃだめよ?(笑)
もし、「ちげーよ。こうだよばか」などあればおしえてください(笑)
ではこの辺で終わりたいと思います。ご拝読ありがとうございました。
最後に一言。。。今足元に石ころあるから蹴るわ